"Take My Wish"

“願いを受けとって”という想いを乗せた歌が、研ぎ澄まされたリズムトラックと、分厚いディストーションギター・リフによるアンサンブルの上に乗る。

そして、この短くシンプルなひとフレーズのみでサビは構成されている。

SPYAIRのコンポーザーであるUZのソロ第1弾として2月24日に届く「Take My Wish」。音楽への探求心とルーツを昇華したセンスフルで、かつ熱を帯びたこの楽曲は、たくさんの夢を抱いていた過去の自分から今の自分に宛てられた手紙だ。

2018年にメンバーのKENTAとMOMIKENが作曲に携わるまで、SPYAIRのすべての曲を書き、その多くのアレンジを手掛けてきたUZ。彼がソロ作品を作ってみたいと想い始めた時期は、中学生の頃まで遡る。以来、強烈なバンドへの憧れと同時に、理想のソロ像について漠然と考えを巡らせてきた。

そして、SPYAIRが音楽シーンを駆け上がる只中、ソロへの想いを具体化させる出来事が2014年に起こる。

ヴォーカルだったIKEの喉の不調から進行中のツアーが中止、バンドの未来も白紙になった。自分が意図しないところで音楽活動が止まってしまうこともある、という現実に突き当たり、喪失感を覚えた時、UZに湧いた衝動は、「なにがあっても自分は作品作りをしていたい」だった。

そこで、自分の意志次第で形にできるソロでの音楽制作へ踏み出すことになる。

とはいえ当時、バンドに集中していた分、ソロへの構想はまとまっていなかった。

さらに、音楽に対して彼は真摯である。

人生の優先順位が高いものってなにか? なにをしている時が一番楽しい? 自問し、“作品作り”という答えにいき着く。

それは物心ついた時からだった。絵を描くこと、工作することが好きで、エレキギターを手にしてからは、たいして弾けない頃からギターで曲を作っているのが楽しかった。

「人生=作品作り。だから、しっかり作品を作っていく人生でありたいし、そこには責任を持ってやりたいんです。ソロはその究極の形なんですよね」

UZは言う。

そうハッキリ認識したことで、UZとして鳴らす音楽とはなにか?という命題と真っ正面から向き合う日々が続くこととなった。

まず浮かんだのは、“自分はトラックだけ作り、ゲストヴォーカリストを迎えて歌ってもらおう。ラップセクションがある曲はそのラップだけ自分でやろう”。それはバンドでの経験を活かせるアイデアであり、彼にとって自然な流れだった。

だが、曲作りを進めていく中で変化する。

「自分で歌詞を書いて、自分で歌おう。そのほうが歪になったとしても、最終的にソロの音楽として愛せる」

これがUZのソロ活動の核となり、この考えに辿り着いた時点がスタートラインでもあった。

作詞は実質、初めてとなる。

メロディを歌うことに対して素人であり、自分の声質を掴み、スキルを身につける必要があった。

楽曲にしても、感性のアンテナに引っかかってきたいくつもの音楽要素の中から、模索する必要があった。

“今”に限定するとUSヒップホップが好きだし、憧れがある。

'90年代に活躍したプロデューサーでありトラックメイカーのドクター・ドレーやピート・ロック……彼らのサンプリングによるトラックに魅力を感じる。そういった音楽へのリスペクトの元、ラップミュージックやR&B、ループミュージックをやりたいと思った。でも、ティーンからヒップホップを聴いてきたアーティストと知り合い、話しているうちに気づいた。

今、ヒップホップが好きだからといって、彼らのようにはなれない。

UZは中学時代、Hi-STANDARDに夢中になった。そして、ロックにラップを取り入れたリンキン・パークに衝撃を受けてきた。その自分のルーツを無駄にしては駄目だ。

こういったソロでやるべき音楽を探す旅は、“音楽作り、楽しい!”では終わらないものだった。

それは自身との対話であり、

「結局なにを言いたいの?」

「どう生きたいの?」

というところに繋がっていた。

ソロの音楽を模索し始めて3年ほどの月日を経た2017年、「Take My Wish」のデモを作った時に、自分のソロの音楽はこうだ、となんとなくの形が見えた。

見えたそれは、これまでと今、自分の音楽人生を全部足したもので、バンドとはまた違った形のミクスチャーロックだった。

そこからさらに約5年。アレンジを変え、歌詞を書き変え、曲を表現するだけのヴォーカルスキルを身につけるために練習し……曲と向き合った時間を経て、現時点のUZを投影した1曲として「Take My Wish」を完成させる。

そして原点となったこの曲をソロデビュー曲に選んだ。

UZそのものであり、名刺代わりとして胸を張れる、と思えたからである。

ラップセクションからスタート。メロディを帯び、サビで歌がガツンと響く「Take My Wish」は、スッと聴く者の心に入り込んでくる。

このポップセンスはメロディメイカーとしての彼の本質であり、曲を紐解くと見えてくる奥行きは音楽家としての美学と造詣の深さを感じさせる。

例えばリズムトラック。曲頭から終わりまでひとつのビートをループさせつつ、Bメロはリズムレスにすることで聴き手に変化を感じさせる。つまりは、ラップセクションもAメロ、サビも同じビートが鳴っているのである。これはループミュージックやラップミュージックへのリスペクトの表れのひとつ。このリズムトラックに使われているスネアは重さとスナッピーのシャリンとした響き、サスティーン(残響)の身近さが絶妙で、この音色にはロックキッズとしての趣向が見える。ハイハットが刻む細かなリズムの在り方は今の音楽の流れを汲み、さらにこのハイハットは跳ね感があるのにループの中で不自然さがないところに舌を巻く。

サビで鳴るヘヴィーなディストーションギター・リフの立体感、ラップセクションをセンスフルに彩るクリーンなギターフレーズ。ここはギタリストとしての性(さが)とセンスが表れている。

そして、そこに乗る歌詞。

「普段の自分とブレのない言葉でまとめたかった」

とUZが言うように、日常づかいの言葉で綴られた詞は、30歳を越え “これをやりたかったけど、まあいいっか”といつしか日々の流れに馴染んでいる自分へ向けた、過去の自分からの手紙、になっている。

“諦めるには早過ぎるさ”

“I can still hear. The voice inside me”

静けさを纏った柔らかい歌声で歌われるその歌には、彼が歩いてきた道のりと今見ている景色が滲んでいる。UZが歌で描く情景と心情が聴き手である自分と重なった時に、目を逸らしているだけで今も確かにある夢を強く感じた。

UZ自身は、誰かに寄り添ったものではなく、自分に向けた歌詞だという。そこには、ひとつの想いがある。

「ソロでは自分の音楽で、自分を奮い立たせたい。自分の音楽から勇気をもらいたい」

ただ、それは受け手を突き放しているわけではない。

「なにが大事かって、想いの強さだと思うんです。想いの強さが、人に届くかどうかを左右すると信じているんですよ」

そして、「Take My Wish」からは夢、願っているステージはまだ先にある、という想いも伝わってくる。では昔の自分──それこそまだなにも手にしていなくて語っていた夢と、現在のUZが見ている夢、その質は変化したのか? 訊いてみると彼はしばらく考えてから、答えた。

「ひとりの人間として、願っているステージに到達できていないという想いは今も強くあるんです。夢は叶ってんじゃん、と言われることもありますし。例えばSPYAIRを始めた頃にメンバーと言い合っていた“デカい野外ステージでワンマンライブをやりたい”という夢は、富士急ハイランド・コニファーフォレストで『JUST LIKE THIS』を毎年できていることで叶っていると言えます。それでも今、全然乾いていますから。今は、ソロの音楽を生バンドに差し替えて、ビルボードライブみたいなステージで歌ってみたいとか、そういう景色を思い浮かべているんです。それは高校生の頃に『JUST LIKE THIS』の景色を想像していたのと変わらない。あの頃と同じようにワクワクしているし、そのためになにをやろう、どういう音楽を作ろうと、ドキドキしているんです。これはたぶんどこまでいっても尽きないんでしょうね。ソロで1stアルバムを作りたいという欲がむちゃくちゃ強いんですけど、完成させたら2ndアルバムを作りたいってなるだろうし。いつまでもガツガツしている、これは僕の本質で、そういう人間なんでしょうね」

話に挙がったソロ1stアルバム。この全体像はUZの中にあって、収録曲のデモは既に揃っている。彼が見ているのは、「1時間なりのソロアルバムを聴き終えた後、例えば同じ時間、僕と面と向かって話したのと同じ感覚を持ってもらえたら理想。だから自分のルーツ、考え方、遊び方も含め、自分自身が鳴っている音楽がソロなんですよね」

その中で「Take My Wish」は、UZというひとりの人間を構成する数多くのピースのうちのひと欠片である。

SPYAIRの活動と並行しながら、別のUZの一面を音楽に落とし込んだ曲がこの先どんどん届くことになる。

その準備はできている。

文・大西智之